Sunday, April 17, 2011

影響を与える人間

みなさん、こんにちは。

今日は他人に影響を与えることについて書きたいと思います。

影響を与えるなんて言うととても大げさに聞こえますが、大小は関係ないと思う。少しでもよい影響を与えることができるなら、そのことの意義は十二分にあると思う。




ぼくは昔から作文や小論文などとにかく文章を書くことが苦手且つ嫌いで、国語より断然英語の授業を好む人間だった。最近になるまで自分でも気づかなかったけど、あるときからやたらと頭を使って文章を書くようになった。契機はたぶん英語で文章を書くようになってからだと思う。

こっちの大学の学部でも、留学先の大学でも”ライティング”という授業を取らなきゃいけなくって、そのライティングの授業はいわゆる”作文”の授業です。英語も日本語も言語の仕組みは違う部分が多いけれど、文章に筋を通すってところは同じだなあとその授業を通して感じました。(←みんなにとっては当たり前に聞こえるかもしれないけど、ぼくは最近やっとこのことにとても納得してる)

というより、むしろ自分の場合は日本語の文章で筋を通すってことがずっと分からなくって。一年間英語まみれの生活から帰ってきたときに、とにかく考えて日本語を使うようになった。書くにしても話すにしても、とりあえず日本語を母語として話すよりは第一言語として使う感覚。

文章を書くってのは”筋を通す”ってところが基本で、そこに文章の構成、内容、文調そういった他の要素を加えて自分の味を出していくものなのかなあと思うんです。ただ、0から自分の味を出していくのはずいぶんと難しい課題になるから、そこで他の人のを盗むのが近道なのかなあ、と。
この盗むってことの大切さを学んだのも英語を通してでした。
「あ、あの言い回しヲタクっぽいから使うのはやめよう。」
「同じ意味だけど、あの単語使うと暗喩っぽくてかっこいい。」
みたいな感じで。

で、たぶん、その人の人間性とか人格とかとその人の書く文章(内容、文調、文を構成するもの全て)が重なり合うと読み手に何かを与えることができるんだと思う。



先日、友達と飲んでたときに話してたんだけど、人間てのは本能で自分にとって得のある人、団体、組織を選んでいると思う。その得ってのはどんな形でもいい。自分の好きなアーティストの情報をくれる友達は有益だ。パソコンに弱い人がパソコンに強い友達を持つのは有益だ。投資について詳しくなりたい人が投資会社で働くのは有益だ。

またまた先日、韓国出身の友達と話していたんだけど、その子から見ると日本人てのは”配慮深い”という印象が国民性として一番大きいらしい。(他にも真面目だとかいろいろな印象はあるのは置いといて。)迷惑をかけないようにするのに一番簡単な方法は、他人と関わらないようにすることだと思う。家族、学校、職場ではなかなか難しいけど、公共の場で他人と関係を持たないようにするのは簡単だ。話かけなければいいし、何かあっても見ぬフリをすればいい。僕は世界中を見たことがあるわけじゃないし、なにかのプロフェッショナルでもない。でも、一年間アメリカで過ごしてきて、日本人は公共の場だと”閉まっている”感じがする。極力他人との関係を絶つ、みたいな。



これからの日本人には自分が変えていくんだという意識が必要だと思う。その意識が低いなあと思ったのは、先日の都知事選挙の投票率の低さです。。都知事選挙は投票率57.80%で閉じました。(msnニュース) どのメディアも投票率が前回より3.45ポイント上まった!と謳っているが、頭おかしいんじゃないかと思う。震災後のこの状況で6割に満たない投票率。あの日は一晩中失望していました。

このブログを通してでも。実際の生活の中での会話を通してでも。何でもいい。
自分と関わる人に少しでもなにかを”あげる”ように生きたいと思うんです。
そのために今まで以上に”得な関係を”築いていかなきゃいけないし、”閉じている”状況はなるべく避けるべきだと思います。

前々回のポスト「気持ち」はFacebook上でたくさんのlikesとコメントを頂きました。自分なりに考えてみたけど、読んだ人に何か感じさせたり考えさせたりすることができたんだと恐縮ながら思ってます。(Facebookの設定でこのブログのポストは自動的にFacebookのNoteとしてupされるようにしてるんだけど、その機能の魅力はまだ分からない。)

なんでもいいから、みんながそうやって”変えていく”って考えてやっていくと日本ももっとよい方向に進むんじゃないかと思います。



この時期は夕暮れに帰るのがとても楽しいです。iPhoneで撮って、しかも編集なんかしなくっても楽しい写真が撮れます。

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